土曜日, 12月 23, 2006

科学と権利 ―― 動物実験の問題

最近BBCニュースの科学欄では動物実験に関する記事が相次いでいる。
類人猿による実験のおかげで脳に起因する難病が治療できた少年の話http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6162735.stm
があり、それと関連して人以外の霊長類による動物実験の規制が緩和されようとしている話http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6161317.stm
があり、さらに動物実験の倫理に関する記事が続いていた。また倫理とは別に動物実験が必ずしも有効でないことを示す研究データも続いた。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6161317.stm
上記によると、イギリスでは1997年以来、大型の類人猿を使う動物実験を許可していないが、霊長類を使うことを強力に正当化できるようなケースがあるとする報告が出され、これを支持する科学者たちと、非難する動物愛護団体とに軋轢が起きているということである。日本ではどうなのだろうか。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/5365206.stm
The ethics of animal research 上記では、動物の「権利」について論評している。これは科学上の発見の話ではないが、科学と「権利」に問題がついて回るということは――個人的には―― 一つの発見であり、再認識だった。権利という言葉、概念と科学との関わり、これは言葉に関する問題としても重要なテーマではないかと思う。類人猿の権利というと、類人猿研究という特別な分野だけの問題のように見えるけれども、最近の環境論などでは地球の権利といった概念も出ているかもしれないし、そうであってもおかしくない。 天然記念物や国立公園、世界遺産などもそういう意味合いがある。

この記事では(Professor Michael Reiss )基準作りが必要だということ、実験による恩恵と犠牲を計算し、秤に掛けることが必要だといっているが、そのような計算法は誰も知らないととも言っている。
とにかくイギリスでは日本やアメリカに比べても動物実験に関わる論争が活発になっていることが分かる。

他方、日本では臓器移植の是非の問題が続いているが、英米ではそういう問題はもう過去の問題になってしまったかのようにみえる。例えば科学記事ではないが、日本で腎臓移植が難しく、臓器が「不足」している状態を異常なこと、とんでもない後進性のような捉え方の記事があったのを記憶している。臓器移植が当たり前のようになって議論もされなくなってしまったことが良いことなのか、良いことでないのか。どうなのであろうか。